怪獣映画と東京タワー(後編)
2004年12月9日 趣味※筆者 注:長くなったので、二つに分けました。
この日記は一つ前の日記から読んで下さいね。
(前編の続き)
・・・と、パラレルワールド全く無視で実に馬鹿馬鹿しいコトについて、大真面目に熱弁を奮ってしまった。
いかん、いかん。本題に戻ろう。
要するに、この東京タワー。
昭和時代には倒され続け、まさに倒されるためだけに建っていた建物だったのだ。これならば、怪獣壊す=東京タワーのイメージが定着しても不思議は無い(当時は怪獣ブームだったこともあるしね)。
とはいっても、平成に入ってからは、意外にも2回しか破壊されていない。
寧ろ、今は東京タワーよりも、お台場、新宿、品川や汐留などに破壊が集中している。
果たして、これが意味するものとは何か?
この問題に関して、切っても切り離せないことといえば、やはり高度経済成長が挙げられるだろう。
一般に、高度経済成長の象徴といえば東京オリンピックであるが、オリンピックは2週間も経てば終わるし、怪獣の破壊の対象とすることは出来ない。
もう一つ象徴となるものといえば新幹線があるのだけれども、こちらも意外に破壊の対象にはなってない。これは多分、怪獣の破壊による描写の芸術性に欠けるから、というのが理由ではないだろうか?実際、新幹線が怪獣によって破壊されたのは、私が知る限りでは三回のみ(「大怪獣ガメラ」「マグマ大使」84年版「ゴジラ」)。
コレに対し、いつまでも存在し、高度経済成長における伸びゆく日本経済のシンボルとして聳え立つ東京タワーが、怪獣映画における、高度経済成長のシンボルとなったのであろう。
また、怪獣が壊すものがb>巨大な建造物だと、それだけで画になる。実際、昭和33年当時の芝公園周辺は何にもなかった。
だから立地条件的にも、東京タワーは高く、巨大な建物として、人々にも怪獣にも記憶されていたのだ。
では、何故現在は東京タワーは破壊の対象として敬遠されているのだろう?
一つの理由に、東京タワーが小さく見えるようになったからじゃないかと。
現在、ビルが乱立する都心から見る東京タワーはいたく小さく見える。
高さとしては東京タワーより低い新宿副都心の方が高く見えるぐらいだ。
だからなのか、ここ20年、新宿副都心は東京タワーに代わって破壊の洗礼を受けている。
これが意味するものとは恐らく、経済の低迷である。
度重なる暗いニュースによる報道で、日本人はすっかり元気を無くしてしまっている。そんな中で、「明るく楽しい60年代」と謡われた60年代のシンボル、東京タワーは徐々に敬遠されたのかもしれない。
でも、何となくコンクリートジャングルである新宿副都心には暗いイメージがあるような気がしてならない。実際、ゴジラが新宿を破壊する描写は、どこか悲壮感が漂っていた。
だからこそ、昨年の「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」においての東京タワー破壊は、一種独特の爽快感があったように思えてならない。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
怪獣映画はよく、時代を映す鏡と言われる。
公害でヘドラが生まれ、IT時代の今には、宇宙人はコンピューターを侵略する。
今は誰もが指摘するように暗い時代だ。
でも、そんな昨今の世相には、高度経済成長のシンボルである、東京タワーの存在が求められているのかもしれない。
いつの日か、またテレビや映画で、東京タワーがぶっ壊されるシーンが連発される日が来ることを、切に願う。
結論:「怪獣映画と東京タワー」の関係は、日本の経済成長に関係ある、ということ。
(^^;
参考文献:メディア・ファクトリー「空想歴史読本」(円道祥之 著)
この日記は一つ前の日記から読んで下さいね。
(前編の続き)
・・・と、パラレルワールド全く無視で実に馬鹿馬鹿しいコトについて、大真面目に熱弁を奮ってしまった。
いかん、いかん。本題に戻ろう。
要するに、この東京タワー。
昭和時代には倒され続け、まさに倒されるためだけに建っていた建物だったのだ。これならば、怪獣壊す=東京タワーのイメージが定着しても不思議は無い(当時は怪獣ブームだったこともあるしね)。
とはいっても、平成に入ってからは、意外にも2回しか破壊されていない。
寧ろ、今は東京タワーよりも、お台場、新宿、品川や汐留などに破壊が集中している。
果たして、これが意味するものとは何か?
この問題に関して、切っても切り離せないことといえば、やはり高度経済成長が挙げられるだろう。
一般に、高度経済成長の象徴といえば東京オリンピックであるが、オリンピックは2週間も経てば終わるし、怪獣の破壊の対象とすることは出来ない。
もう一つ象徴となるものといえば新幹線があるのだけれども、こちらも意外に破壊の対象にはなってない。これは多分、怪獣の破壊による描写の芸術性に欠けるから、というのが理由ではないだろうか?実際、新幹線が怪獣によって破壊されたのは、私が知る限りでは三回のみ(「大怪獣ガメラ」「マグマ大使」84年版「ゴジラ」)。
コレに対し、いつまでも存在し、高度経済成長における伸びゆく日本経済のシンボルとして聳え立つ東京タワーが、怪獣映画における、高度経済成長のシンボルとなったのであろう。
また、怪獣が壊すものがb>巨大な建造物だと、それだけで画になる。実際、昭和33年当時の芝公園周辺は何にもなかった。
だから立地条件的にも、東京タワーは高く、巨大な建物として、人々にも怪獣にも記憶されていたのだ。
では、何故現在は東京タワーは破壊の対象として敬遠されているのだろう?
一つの理由に、東京タワーが小さく見えるようになったからじゃないかと。
現在、ビルが乱立する都心から見る東京タワーはいたく小さく見える。
高さとしては東京タワーより低い新宿副都心の方が高く見えるぐらいだ。
だからなのか、ここ20年、新宿副都心は東京タワーに代わって破壊の洗礼を受けている。
これが意味するものとは恐らく、経済の低迷である。
度重なる暗いニュースによる報道で、日本人はすっかり元気を無くしてしまっている。そんな中で、「明るく楽しい60年代」と謡われた60年代のシンボル、東京タワーは徐々に敬遠されたのかもしれない。
でも、何となくコンクリートジャングルである新宿副都心には暗いイメージがあるような気がしてならない。実際、ゴジラが新宿を破壊する描写は、どこか悲壮感が漂っていた。
だからこそ、昨年の「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」においての東京タワー破壊は、一種独特の爽快感があったように思えてならない。
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怪獣映画はよく、時代を映す鏡と言われる。
公害でヘドラが生まれ、IT時代の今には、宇宙人はコンピューターを侵略する。
今は誰もが指摘するように暗い時代だ。
でも、そんな昨今の世相には、高度経済成長のシンボルである、東京タワーの存在が求められているのかもしれない。
いつの日か、またテレビや映画で、東京タワーがぶっ壊されるシーンが連発される日が来ることを、切に願う。
結論:「怪獣映画と東京タワー」の関係は、日本の経済成長に関係ある、ということ。
(^^;
参考文献:メディア・ファクトリー「空想歴史読本」(円道祥之 著)
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