CASSHERN

2005年6月9日 映画
最近何かと忙しい。
だからここの更新もなかなか出来ない。
知り合いからは「帰宅部のお前が忙しいハズが無い」などと言われるが、忙しいものはしょうがないのだ。何も忙しい=部活というワケではないんだから。
それに、最近何かとショッキングなコトが多い。だからなのか、精神的にもいまひとつ余裕が無いんだよな。

さて、気を取り直して、今日の話題は5月の末に見た、映画「CASSHERN」

長年にわたる戦争の末、荒れ果てた世界。人類を再生の道へと導くため、遺伝子工学の第一人者・東博士(寺尾聰)は人間のあらゆる部位を自在に造り出す“新造細胞理論”を学会で提唱する。一方、博士の息子、鉄也(伊勢谷友介)は父へ反抗心から兵士として戦争に参加するが……。


「CASSHERN」は、漫画「新造人間キャシャーン」を紀里谷和明が実写映画化した作品。主題歌を紀里谷の妻である宇多田ヒカルが歌ったことでも話題になった。



またやってしまった・・・orz
あれほどわかっていたのに。映画は期待して見ると結構裏切られるというコトを・・・。

おっと、イキナリ嫌味から入ってしまったが、この「CASSHERN」には正直落胆させられた。 
私は当然のことながら、リアルタイムで原作の「新造人間キャシャーン」を見ていない。故に、原作の世界観に関しては無知である。だが原作を実写化した映画というのは、原作を知らないほうが楽しめる、というパターンが多いので、原作を読んでいなくても楽しめると思っていた。現にその期待は大きく、120秒の予告編を見たときは、かなり興奮したモノである。

ところが。

期待は見事に裏切られてしまった。

つまらん


・・・と一言で済ますのは何なので、どこがどう合わなかったのか言わせて貰うと、とにもかくにもCGが薄っぺらい。
何ていうか、一見美しく見えるようだが、中身が無に等しい。例えるなら、スカスカのスイカのようだ。昨今のハリウッド映画などでも、こういった「CGの薄っぺらさ」を感じることは多いのだが、今回もそれと同じような印象を受けた。確かに合成のアラとかは少ないとは思うんだが、映像に力が無い。しかも全編に渡ってこんな調子が延々と続くので、体力を奪われる。
やたらと画面を光らせているだけではやっぱりダメなんだよな。さらに、そこに付加される音楽も、これでもかとばかりギンギン鳴るので段々と疲れてきて、映画の半分を過ぎたところで「早く終われよ」という気になってしまうのは困ったもんだ。だからなのか、数少ない落ち着いたシーンが来ると妙に安心してしまう。でもすぐにまたCGをキラキラさせたシーンに切り替わり、興ざめしてしまう。
何だか最近のSF映画は「CGを使えば素晴らしい」みたいな風潮があるようだが、それがマイナスに作用したイイ例であろう。

それでも前半30分ぐらいは寺尾聰や及川光博の熱演が光ってなかなか面白い。また小日向文世もイイ味出していた。だがその後から段々怪しくなってくる。どうして最初のペースで映画を進めていかないのか。新造人間が現れた辺りから観客を置いて行ってしまっている。それじゃぁ、意味が無い。また具体的なセリフでの説明が少なく、難解なセリフや登場人物の意味不明な行動も相まって、この作品を不可思議なモノにしている。しかもキャラ一人一人が魅力に欠ける。一番疑問が残ったのが宮迫のキャラ。何でロクに喋らなかったのか最後までわからなかったし、登場させる理由も意味不明。登場人物多すぎだっての。それがさらにテンポを悪くさせている。
でもせめて100分ぐらいにまとめたらまた印象が違っていたかもしれないが、やっぱし140分は長すぎ。ラスト30分なんか、見ているのがめっちゃ辛い。


そういうワケで「何とか」最後まで見たけれど、ラストシーンは何か後味が悪い。私がハッピーエンドが好きだからかもしれないが、いまひとつパッとしない終わり方だったような気がするなぁ。

きちんとしたメッセージを伝えようとしたことはわかったけれど、やっぱりそれ故に映画のテンポというのは重要だと、改めて実感させられた映画だった。




所謂「本編より予告編の方が面白い映画」の典型だったな。









「CASSHERN」
脚本:紀里谷和明 菅正太郎 佐藤大 音楽:鷺巣詩郎
バトルシーンコンテ:樋口真嗣 監督:紀里谷和明

東鉄也(キャシャーン):伊勢谷友介 上月ルナ:麻生久美子
東博士:寺尾聰 東ミドリ:樋口可南子 上月博士:小日向文世
アクボーン:宮迫博之 バラシン:要潤 内藤薫:及川光博
ブライ:唐沢寿明

テーマソング:「誰かの願いがかなうころ」(歌:宇多田ヒカル)
封切:2004年4月24日

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